インドでは、停電は日常茶飯事だ。ロウソクの明かりで食事をし、ネットにも繋がらないのでまるでインターネットが普及する前の暮らしに戻ったようだ。少し不便だけど自然や人をダイレクトに感じるオーガニックな暮らしは、なんだかインドにしっくりくる。ここでは全てのことがスローモーションで進むのだ。
気がつけばここに来て12日が経っていた。パンチャカルマも残すところあと3日のみ。朝からカラリマッサージ、キズィー、カディバスティを受けた。それから、またオイルを少し肛門に注入された。明日もう一度バスティをするらしい…。途方に暮れるわたしをよそにトムは空腹感と元気を取り戻していた。お腹を壊してこりたせいで、今回はウンニ先生の指定するレストランで先生に言われた通りのものを食べることにしたようだ。
いつものように治療を終えて部屋に戻り、持って来た本も全て読み終えて暇にしていたわたしは、「やることもないし、お互いの話しをしようよ」と言った。
「へぇ? 何それ? 」
私は自分が昔旅をしたアフリカ南部の国々の野生動物の群れや、昼間だけ大きくてカラフルな花を開ける巨大なサボテンのこと、そしてマラリアを煩って死にそうになったことを話していた。
「次はトムの番よ。何か聞かせて! 」
しばらく沈黙してから、トムは、10代の頃の初めて訪れたアメリカで、食事中に突然包丁を振り回したというクレイジーなホストファミリーの話しをしてくれた。また、セネガルへの旅によって、世界観が180度変わってしまったとも。トムと知り合って7年の月日が経つけれど、今まで聞いたことのなかった話しばかりだった。旅っていいなと思う。忙しい生活の中で訪れないような空間にタイムスリップして、本当はこころにいつもある大切な思い出を拾いに行けるから。思い出を拾い集めながらゲストハウスのバルコニーで長い午後を過ごした。
13日目、バスティ治療のために朝食は抜き、アビャンガとカズィーを受けたあとに別室へ向かう。液体を大腸に注入されてから今日は2分半まで我慢できたが、やはり体はぐったりと衰弱していた。そしてまた長い昼寝をした。
トムはいたって元気そうだった。彼がいつも慢性的に感じていた左肩の痛みは消えていて、体は驚く程軽いのだという。カプチーノや煙草を断って2週間、ほしいとも思わないそうだ。コーヒーや煙草の毒素が蓄積されていくことで体は鈍くなり、さらに疲れを感じ、疲れを紛らわすためにまたカフェインや煙草に頼るという悪循環から、抜け出すことに成功したようだ。
最終日の14日目。昨晩から左足が座骨神経痛でピリピリするので、それをウンニ先生に伝えていたため、カラリマッサージを終えたあと先生が治療室へ入ってきて、タイマッサージのような方法で、私の背骨を伸ばしたりひねったりして骨をボキボキ鳴らした。左半身が開く感じがすると共にチクチクした痛みも消えていった。その後カズィーを受け、最後にまたオイルを少し肛門に注入され、バックパックの半分を占拠する程の量の薬半年分をもらって2週間のパンチャカルマの治療を終えた。
翌日は雨降りだった。滞在中1度も雨は降らなかったのに、出発する日に限って大雨が降るなんてなんということだろう。処方された薬ではち切れそうになったバックパックを背負い、その上からポンチョを羽織って、まだ薄暗いなか、ココナツの木の間を通り抜け、タクシーが待っている場所へと向かった。
無事に駅に到着し電車に乗り込むと、独特の声を出して車内を行き来するチャイワラ(チャイ売り)の声が聞こえた。甘いチャイが飲みたいけど. . . ウンニ先生はもう傍にはいない。もしまたトムのお腹が痛くなったらどうしよう? そんな不安もチャイの誘惑には勝てなかった。そしてチャイを飲んだあとも、もう二度と腹痛に襲われることはなかった。
腹痛や高熱にうなされ、トイレを往復していた日々が、大切な思い出になっていく。チャイをお代わりして、そんな記憶を辿りながら二人で大笑いした。旅が幕を閉じようとしている。また彼と一緒にインドに戻って来たいと思う。電車で北上すること約3時間、コーチに到着した。<おわり>
インド・アーユルヴェーダの旅の最後に訪れたのは、アーユルヴェーダ発祥の地、ケララ州最古の都市コーチ。アラビア海の女王と呼ばれるだけあって、清潔感がありポルトガル植民地時代の面影を残す。パンチャカルマの治療を終えたばかりの体に移動の旅は応えたが、宿で少し休養を取った後、最後の夜は伝統武術カラリパヤットゥを見に行った。
アーユルヴェーダ的なライフスタイルを送ることが、健やかな毎日への一番の近道だと教えてくれたウンニ先生。ヨガを行なうことで得られる相乗効果が高い反面、注意すべき点も。
「ヨガ修行者はアーユルヴェーダの薬に早く反応します。また良い効果も現れやすいのです。アサナによって人は自然の流れに乗り、身体に対する意識を高めるので、化学的に作られた薬を使うことは好ましくありません。できるだけ自然のものを使い、自然と共存できる生活をするのが理想的です。アーユルヴェーダをヨガ修行のできない一般人のためものも、ともいえます。アーユルヴェーダとヨガを別に考える人もいますが、この2つの根源は同じだということを忘れてはいけません。(アガスティヤ・ヘリテージ・アーユルヴェーディック・センター ウンニ先生談)